車がないことが恥ずかしい?〜送ってもらうたびに申し訳なさを感じるあなたへ|与えられるばかりの関係がしんどい時に“持ってない自分”を責めない方法

私、宗田玲子です。
今日は「送ってもらってばかり」と感じてしまうときの気持ちについて、少しお話ししたいと思います。

目次

送迎グループの”モヤモヤ”は、車がないことだけじゃなかった

「今日も送ってもらっちゃって、申し訳ない…」

そんなフレーズ、何度口にしたことでしょう。私は車を持っていません。都心に住んでいるので普段は不便を感じないのですが、友人たちと郊外に出かけるときには、どうしても送迎をお願いすることになります。

特に大学時代からの友人グループで集まるとき。山登りが好きな私たちは、月に一度は自然の中で過ごす時間を作っています。でも、車を持っているのは5人中3人。私ともう一人は、いつも「送ってもらう側」になります。

「今度は私がおごるね」「お土産買ってくるよ」と言いながらも、何となく胸の奥に残るモヤモヤ感。💭 最初は単純に「車を持っていないこと」が引け目だと思っていました。でも、時間が経つにつれて、その正体は別のところにあると気づき始めたんです。

そう、私を苦しくしていたのは「車がないこと」ではなくて、「いつも何かをしてもらう側だという意識」だったんです。

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「お願いしてる側だから…」が、私を苦しくしていた

「今週末の山行き、乗せていってもらえる?」

このシンプルな一言を言うだけで、私の中では様々な思考が巡っていました。

「迷惑かけちゃうな」
「断りづらくさせてないかな」
「本当は面倒だと思われてるんじゃ…」

こうした思いが積み重なって、いつしか友人たちとの関係にも微妙な距離感を持つようになっていました。LINEでの会話も、何だか遠慮がちになっていたと思います。😢

ある日、思い切って友人の美奈に聞いてみました。

「私、いつも送ってもらってばかりで悪いなって思ってるんだけど…実際どう?」

美奈は驚いた顔で言いました。「え?そんなこと気にしてたの?むしろ一緒に行けるから楽しいよ。それに、私も一人で運転するの寂しいから助かってるんだけど」

その言葉を聞いて、ハッとしました。私は「お願いしている側」という立場に囚われすぎていたんです。そのせいで、関係性の中にある自然なギブアンドテイクを見失っていました。

どうやら私は、「対等でなければならない」「迷惑をかけてはいけない」という思い込みを強く持っていたようです。でも関係性って、そんなにきっちりとした天秤で測れるものではないんですよね。

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距離をとっていたのは、相手じゃなくて私のほうだった

「最近、あまり連絡してこないね」

そう言われたのは、友人たちとの飲み会の席でした。車での送迎の話が出るたび、私は「大丈夫、電車で行くから!」と言って断るようになっていました。結果的に、集まる頻度も減っていたんです。

「気を遣わせたくなくて…」と言うと、友人たちは口々に言いました。

「そんなこと全然思ってないよ」
「むしろ一緒に行けなくて寂しかった」
「車の送迎くらいで、そんなに気を遣わなくていいのに」

その瞬間、私は自分が何をしていたのかに気づきました。相手が距離を置いていたわけではなく、私自身が「迷惑をかけているに違いない」という思い込みから、自分から距離を作っていたんです。💭

私は「送ってもらうこと」を「負債」のように感じていました。でも友人たちにとっては、それはごく自然な「助け合い」だったんです。

振り返ってみると、私は相手の気持ちを想像するときに、いつも最悪のシナリオを描いていました。「きっと面倒だと思われている」「負担に感じているはず」…。

でも実際には、友人たちは私の存在自体を喜んでくれていたんです。彼女たちにとって大切なのは「誰が車を出すか」ではなく、「一緒に過ごす時間」だったんですね。

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ふとしたひとことで、壁の向こうにある優しさに触れた

「玲子が一緒だと、車内の雰囲気がいいんだよね」

先月の山行きで、運転していた友人の和子がポツリと言いました。

「私の話を聞いてくれるし、途中で寄りたいところがあっても『いいよ』って言ってくれる。他の子たちはすぐ寝ちゃうから(笑)」

その言葉を聞いて、胸がじんわりと温かくなりました。私自身は「何も貢献できていない」と思っていたのに、和子の目には違って映っていたんです。

考えてみれば、私は常に「与えられている」と感じていましたが、私も無意識のうちに「与えている」ものがあったんですね。車内での会話、一緒に選ぶお昼ごはん、写真を撮ってあげること…。💡

そして気づきました。人間関係は「ギブアンドテイク」だけではなく、「ともに在ること」の価値もあるんだと。私は「何かをしてあげる」ことばかりに目を向けていましたが、ただそこに居ることの意味もあったんです。

「送ってもらう」という行為を通じて、私たちは会話をし、景色を共有し、思い出を作っていました。それは決して一方通行の関係ではなかったんですね。

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“持ってない自分”のままで、つながっていける

最近の私は、少し肩の力が抜けてきました。

「今度の週末、また山に行かない?」
「いいね!乗せていってもらえる?」

この会話が、以前よりもずっと自然にできるようになりました。

車を持っていない自分を受け入れ、友人たちの好意をありがたく受け取れるようになったのです。もちろん、できることはします。お菓子を用意したり、道中の音楽プレイリストを準備したり。でも、それは「借りを返す」ためではなく、一緒に楽しい時間を過ごすための自然な気持ちから生まれるようになりました。

何よりも変わったのは、自分の「足りなさ」ばかりに目を向けるのではなく、「今の自分にできること」を大切にする視点を持てるようになったことです。完璧な対等関係を求めるよりも、お互いの「できること」と「できないこと」を補い合う関係の方が、ずっと自然で心地よいものだと感じています。💭

「送ってもらってばかり」と感じたとき、それは時に自分自身が作り出した壁かもしれません。その壁の向こうには、実は温かな関係性が待っているのかもしれないのです。

もし今、あなたも似たような気持ちを抱えているなら、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。あなたは本当に「何も与えていない」のでしょうか? 相手はあなたが思うほど「負担」に感じているのでしょうか?

完璧を求めすぎず、自分にも相手にも少し優しくなれたとき、見えてくる風景があるのかもしれません。”持っていない自分”でも、十分に大切なつながりを育むことができるのだと、私は今、そう信じています。

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宗田玲子のプロフィール
はじめまして、宗田玲子です。
このブログでは、毒親や毒上司、モラハラ夫など「毒人間」に振り回された私の経験をもとに、抜け出すためのヒントをお伝えします。実は私、毒親育ちからモラハラ夫、パワハラ上司まで「毒フルコース」を制覇済みです。
しかし、ある日たまたま目にした「幸福論」で人生が音を立てて変わる体験をしました。おかげで、長らく感じることのなかった幸福感を取り戻せたのです!
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