静かな時間が大好きな私。書斎で仕事をしたり、本を読んだり、時には何も考えずにただぼんやりと過ごすこともあります。そんな私にとって、自宅はいつも「安全地帯」でした。
先月引っ越してきたマンションは、最初こそ理想の環境だったんです。日当たりも良く、緑も見える。何より、静かでした。
「ようやく見つけた」そう思っていたんです。
けれど、引っ越して2週間が過ぎた頃から、上の階から聞こえてくる足音や物を引きずる音が気になり始めました。特に夜、集中したい時間帯に。最初は「たまたまかな」と思っていましたが、だんだんパターン化していくのを感じて…😢
「大丈夫、これは我慢しなくていいこと。丁寧に伝えれば、きっと分かってもらえる」
そう自分に言い聞かせて、管理会社に相談。「まずは丁寧に手紙でお伝えするのがいいですよ」とアドバイスをもらいました。
「お互いに気持ちよく暮らせるように」という思いを込めて、何度も推敲した手紙。不快にさせない言葉選びを心がけ、自分の状況をありのままに、でも感情的にならずに伝えました。
あの時は、こんな展開になるとは思ってもいませんでした。
【💡行動ヒント:困りごとを伝える前に、まず自分の「譲れる範囲」と「譲れない範囲」を整理してみましょう📎理由:全てが解決するとは限らないため、自分にとって最低限必要なものを明確にしておくと、交渉の指針になります】
「ひとこと注意」が崩した日常
手紙を投函した翌日のこと。玄関前に置いてあった植木鉢が倒されていました。土はばらまかれ、大切にしていた花は踏みつけられた跡が。
「偶然かな」と思いたかったけれど、胸の奥で警報が鳴っていました。
それから、上階の音は静かになるどころか、むしろ激しくなりました。深夜の足音、朝方の物音。まるで意図的なように思える時間帯に。そして、エレベーターで鉢合わせた時の、あからさまな無視。
「なぜ?ちゃんと丁寧に伝えたのに…」
あの手紙には敵意など微塵も込めていなかったのに、なぜこんな報復的な反応をされるのか。理解できませんでした。💭
友人に相談すると「あなたが悪いわけじゃない。相手の問題かもしれないよ」と言ってくれました。でも心のどこかで、「もっと違う伝え方があったのでは?」と自分を責める気持ちもありました。
そして何より怖かったのは、これからずっとこの状況が続くのかもしれないという不安。毎日の生活に影を落とし始めていました。
人間関係って、本当に難しい。丁寧に思いを伝えても、相手にはまったく違うメッセージとして届くことがある。この現実に向き合うのは、正直とても疲れることでした。
【💡行動ヒント:相手の反応が予想と大きく異なる場合、一度距離を置いて状況を俯瞰してみましょう📎理由:感情的になっているときは判断が曇りやすく、自分を必要以上に責めがちだからです】
相手の反応は、予想を超えてくることがある
管理会社に再度相談したところ、「このケース、実は珍しくないんです」と言われました。
「丁寧に伝えたのに伝わらない」という経験は、多くの人が持っているようです。特に「音」のトラブルは感じ方に個人差があり、しかも「指摘された」という事実だけで防衛反応が起きる人もいるとか。
そう聞いて、少し肩の力が抜けました。これは私だけの問題じゃないんだと。
専門家によると、コミュニケーションにおける「伝え方」は全体の30%程度の影響しかなく、残りは相手の受け取り方や状況、これまでの経験など、私たちがコントロールできない要素が占めているそうです。
つまり、どんなに完璧な「伝え方」を心がけても、相手に100%意図通りに伝わるとは限らないんですね。💭
たとえば、過去に似たような言葉で傷ついた経験がある人は、どんなに丁寧な言い回しでも「攻撃された」と感じることがあります。また、その日のストレス状態や気分によっても受け取り方は変わってきます。
「伝わらなかった」ことを、すべて自分の責任だと背負い込む必要はないんです。
そして、残念ながら世の中には「話し合いではどうしても分かり合えない人」も存在します。それは私たちの努力不足ではなく、単なる相性や価値観の違いかもしれません。
【💡行動ヒント:相手の反応に驚いたときは「この人には別の解釈の仕方があるのかもしれない」と考えてみましょう📎理由:価値観の多様性を認識することで、自分を責めすぎず、また相手への過度な期待も抑えられます】
わかり合えないとき、心を守る選択肢
この状況が続くにつれ、私は次第に疲れ果ててきました。毎日の足音に怯え、エレベーターで会うことを恐れ、「また何かされるかも」という不安。
そんな時、カウンセラーの友人がくれたアドバイスが心に響きました。
「あなたにできることには限界があるんだよ。相手を変えることはできなくても、自分の反応は選べる」
考えてみれば、私には選択肢がありました。
まず、物理的な対応。耳栓やノイズキャンセリングヘッドホンを使う、仕事場を外に確保する、最悪の場合は引っ越すという選択肢も。
そして何より大切なのは、精神的な境界線を引くこと。「この問題に費やせるエネルギーはここまで」と決めて、それ以上は考えないようにする。難しいけれど、試してみる価値はありました。📎
また、管理会社や第三者を介して対応することで、直接的な摩擦を減らすこともできます。実際に私は管理会社に間に入ってもらい、状況は少し改善しました。
それから、同じような経験をした人たちとつながることも助けになりました。オンラインコミュニティや友人の紹介で知り合った人たちと話すと、「自分だけじゃないんだ」という安心感が得られます。
「すべての人とわかり合える」という幻想を手放すことは、最初は悲しいことに思えるかもしれません。でも、それは同時に大きな解放でもあるんです。
【💡行動ヒント:「この問題に使えるエネルギーは〇%まで」と決めてみましょう📎理由:限りあるエネルギーを守ることは自己防衛として大切で、他の大切なことに注力するためにも必要です】
“悪者じゃない自分”に戻るために
この騒動が始まってから、私は次第に自分を見失いかけていました。「私が悪いのかも」「もっとうまく伝えられたはず」と自分を責め続けていたんです。
ある日、日記を書いていて気づきました。以前の私なら「自分の気持ちを丁寧に伝えることができた」と胸を張れたはずなのに、今はその行動さえも自分を責める材料になっていました。
これは違う。
私は悪いことをしたわけじゃない。むしろ、誠実に対応したんです。💡
その気づきから、少しずつ「悪者じゃない自分」を取り戻す作業を始めました。
まず、この経験から学べることを書き出してみました。「すべての人とわかり合えるわけではない」「自分の意図と相手の受け取り方には差がある」「コミュニケーションには限界がある」…
そして、この経験が私の人生においてどれだけの比重を占めるべきかを考えました。大切な家族や友人、仕事、趣味、将来の夢…人生にはもっと価値あることがたくさんあります。
時間が解決してくれることもあります。実際、あれから数ヶ月経った今では、上階の方とは会えばお辞儀をする程度の関係になりました。音の問題も、お互いの譲歩で少しずつ改善しています。
わかり合えなかった相手との体験は、確かに傷つきますし、疲れます。でも、それは決して私たちの人間性を否定するものではないのです。
むしろ、こうした経験を通して、私たちは自分の価値観を知り、境界線の引き方を学び、そして本当に大切にしたい関係に気づくことができるのかもしれません。
【💡行動ヒント:「自分は正しいことをした」と言い聞かせるノートを作ってみましょう📎理由:自己肯定感を守るためには、意識的に自分を認める習慣が必要だからです】
人は誰しも、完璧に理解し合えるわけではありません。それでも、理解し合おうと努力することには価値があります。そして時には、「わかり合えないこともある」と受け入れることも、大人の知恵なのかもしれませんね。
あなたも、「伝えたのに伝わらなかった」という体験で傷ついているなら、それはあなたのせいじゃないかもしれません。そのままのあなたを大切にしてくださいね。
コメント