なんでこんなにモヤモヤするの? ― 子どものSNSに干渉してくる”親”への違和感

こんにちは、宗田玲子です。今日は少し厄介な話題について書こうと思います。子どもを持つ親同士の関係、特に子どものSNSや交友関係に過剰に干渉してくる親御さんとの付き合い方について考えてみましょう。

「うちの子と仲良くしてるお子さんのLINEグループ、見せてもらえませんか?」

「息子さん、インスタやってるみたいですね。フォローさせてもらっていいですか?」

こんな言葉をかけられて、なんとなく違和感を感じたことはありませんか?

目次

子どもを通じて距離を詰めてくる”保護者”という存在

PTA活動や子どもの習い事、学校行事など、子どもが成長するにつれて私たち親も様々な場面で他の保護者と関わることになります。ほとんどの場合、適度な距離感を保ちながら必要最低限のコミュニケーションで済むものです。顔を合わせたときに会釈を交わし、時には子どもの様子について軽く話す程度。そんな穏やかな関係が一般的でしょう。

しかし時に、子どもを介して必要以上に接近してくる親御さんがいます。最初は何気ない会話から始まり、少しずつ個人的な話題や子どもたちのプライベートな情報にまで踏み込んでくるのです。

先日、50代の佐藤さん(仮名)から相談を受けました。中学生の息子さんのクラスメイトの母親が、息子のSNSアカウントを教えてほしいと言ってきたそうです。「子どもたちが何をしているか知りたい」という理由でした。いきなりそんなことを言われて、佐藤さんは戸惑ったそうです。

「断ると角が立つかな、と思って曖昧に返事をしましたが、なんだか気持ちが悪くて。でも、子どものためと言われると、断るのが難しくて…」と佐藤さんは眉間にしわを寄せながら話してくれました。

なぜこういった親が接近してくるのでしょうか?その心理を深く掘り下げてみると、複雑な感情や動機が隠れています。子どもの世界を完全に把握・管理したいという過剰な保護欲求を持つ親がいます。彼らは自分の子どもだけでなく、その友人関係まで含めてすべてをコントロール下に置きたいと考えています。デジタル社会の危険性を強く意識するあまり、監視の網を広げていくのです。

また、自分の不安や孤独感を、子どもの友人関係を通じて埋めようとする親もいます。自分自身の社会的なつながりが希薄だったり、子育て以外のアイデンティティを見失ってしまったりすると、子どもの交友関係に過度に依存してしまうことがあるのです。子どもの友達の親と親しくなることで、自分の社交圏を広げようとする意図が潜んでいることもあります。

中には、他人の子どもも含め「正しく導く」のが自分の役目だと思い込んでいる親もいます。善意から出発していても、それが行き過ぎると他人のプライバシーを侵害することになります。「私が見守っているから大丈夫」という思い込みは、時に他の親の養育権を軽視することにもつながります。

そして意外と多いのが、自分の子どもの交友関係を通じて、自身の社会的地位や評価を確認したいという欲求です。「どんな家庭の子と付き合っているか」を気にするあまり、他の子どもの家庭環境まで詮索したがる親もいるのです。これは無意識のうちに、子どもの交友関係を自分の価値の延長線上に置いてしまう心理から来ています。

こうした親は、善意や子どもを思う気持ちからスタートしていることが多いのですが、それが行き過ぎると他人の領域を侵食してしまいます。最初は単なる心配や関心から始まったことが、いつの間にか監視や干渉になっていく。そんな境界線の曖昧さが、この問題をより複雑にしているのです。

【💡行動ヒント:最初の接触時にさりげなく境界線を引いてみる。例:「うちは子どもに任せていることなので…」と柔らかく断る。📎理由:早い段階で「踏み込まれたくない」という意思表示をしておくと、その後の必要以上の接近を防げます】

「なんとなく不快」は、ちゃんとしたサインかもしれない

「なんとなく違和感がある」「モヤモヤする」という感覚、大切にしてください。これはあなたの内面からの重要なメッセージなのです。私たちは時々、はっきりと言葉にできない感情を軽視してしまいがちです。特に大人になるほど、感覚よりも論理を重視するようになります。しかし、その漠然とした不快感は、実は非常に洗練された防衛機能かもしれないのです。

佐藤さんは窓の外を見つめながら言いました。「論理的に説明できないけど、なんだか気持ち悪いんです。あの親御さんが子どものSNSを見たいと言ってきたとき、胸のあたりがキュッと締め付けられるような感じがして。でも、そんな感覚だけで拒否するのは大人げないのかな、とも思って…自分が神経質すぎるのかもしれないと自己嫌悪に陥ることもあります」

この「説明できない不快感」は実は非常に重要です。私たちの脳は、言語化できる以前に、危険や境界侵害を感知するようにできています。心理学では「直観」や「暗黙知」と呼ばれるもので、進化の過程で培われてきた生存のための機能なのです。言葉で説明できないからこそ、ある意味純粋な警告システムとも言えます。

私たちの身体は、しばしば理性よりも早く反応します。他人が自分や家族のプライバシーに踏み込もうとしているとき、論理的に分析する前に、既に体は緊張し、違和感として警告を発しているのです。これは「体細胞マーカー理論」とも呼ばれ、脳が経験から学んだパターンを無意識レベルで認識して身体感覚として表出させるものです。

他の親が子どものSNSに干渉してくるとき、あなたが感じる違和感の正体は何でしょうか?それは単なる気まぐれや過敏反応ではありません。そこには深い意味が隠されています。

プライバシーの侵害への警戒心が働いているのかもしれません。子どものデジタル空間も、家庭の延長線上にある私的な領域です。そこに他人が土足で踏み込もうとする時、私たちは本能的に不快感を覚えます。それは子どもの領域を守ろうとする親としての自然な反応なのです。

あるいは、自分の養育方針への干渉を感じ取っているのかもしれません。各家庭には独自の価値観があり、子どものSNS利用についても様々なアプローチがあります。他の親が「こうあるべき」という前提で介入してくるとき、それは暗に「あなたのやり方は間違っている」というメッセージを含んでいることがあります。そうした批判を直感的に感じ取り、不快に思うのは当然です。

不自然な力関係の構築を感じ取っているケースもあります。子どものSNSに干渉したいという親は、しばしば情報の非対称性を作り出そうとします。自分は他の子どもの情報を得たいが、自分の子どもの情報は必ずしも共有しない。こうした一方的な関係性への違和感は、社会的な公平さを求める人間の基本的な感覚に根ざしているのです。

また最も根本的には、あなたや子どもの境界線が尊重されていないという感覚があるでしょう。心理的な境界線は目に見えませんが、それが侵犯されたときの不快感は非常に鮮明です。他の親が子どものSNSを見たいというリクエストは、しばしばこの境界線を曖昧にし、時に踏み越えようとする行為なのです。

50代になると「大人の対応」や「円滑な人間関係」を重視しがちです。長年の社会経験から「波風を立てない」ことの価値を学んできたからでしょう。しかし、自分の感覚を信じることも同じくらい大切です。特に子どもに関することでは、親としての直感を尊重していいのです。それは単なる感情的反応ではなく、あなたの経験と知恵が統合された結果なのですから。

モヤモヤした感覚を大切にしてください。それはあなたが大人になっても失っていない、大切な自己防衛システムからのメッセージなのですから。

【💡行動ヒント:違和感を記録してみる。「どんな言動に」「どんな不快感を覚えたか」をメモに残す。📎理由:記録することで感覚が明確になり、自分の境界線を認識しやすくなります。また、パターンが見えてくれば対応も考えやすくなります】

子どものSNSにまで口を出す親たちの共通点

子どものSNSに過剰に干渉する親には、いくつかの共通点があることがわかっています。表面的には「子どものため」という言葉で正当化されていますが、その背後には複雑な心理的要因が絡み合っているのです。

佐藤さんが困っていた保護者は、自分の子どもだけでなく、そのクラスメイト全員のSNSをチェックしたいと言っていました。さらに「不適切な投稿」があれば親同士で共有し、対処したいとまで言うのです。佐藤さんは眉をひそめながら、「それって監視社会みたいで怖いなと思ったんです」と静かに語りました。確かに、そこには何か不自然さを感じずにはいられません。

こうした支配的・過干渉な親の心理を探ってみると、まず目につくのは根底にある強い不安感です。子どもの行動すべてを把握していないと不安になる傾向があります。デジタル空間は目に見えず、直接監視できないからこそ、より強い不安を感じるのでしょう。特に自分自身がSNSに詳しくない親ほど、未知の領域への恐れから過剰な干渉に走ることがあります。その不安は時に、他の子どもたちにまで監視の目を広げようとする行動につながるのです。

また、「親としての責任」を過度に強調する傾向も見られます。親としての責任は確かに重要ですが、それが行き過ぎると自分の責任範囲を超えて、他の家庭の領域にまで踏み込んでしまうことがあります。「子どもたちを守るのは大人の責任」という美名のもとに、実際には不必要な干渉が行われるのです。責任感の強さが、皮肉にも他者の権利を侵害することになってしまう矛盾がそこにはあります。

さらに深刻なのは、自分の価値観を絶対視し、他者にも押し付ける姿勢です。「これは良くない」「あれは危険」という判断は、その人自身の価値観や経験に基づいています。しかし、そうした主観的な判断を普遍的な基準であるかのように他者に押し付けようとするとき、そこには一種の傲慢さがあるとも言えるでしょう。特にSNSの利用方法や適切さの判断は、家庭によって大きく異なるものです。

プライバシーという概念への理解が薄いことも特徴的です。デジタルネイティブ世代の子どもたちにとって、SNSは単なるコミュニケーションツールではなく、自己表現の場であり、アイデンティティ形成の重要な要素でもあります。そこに大人が無遠慮に介入することの意味を、こうした親は十分に理解していないことが多いのです。子どものプライバシーを尊重することが、実は信頼関係の構築や自立心の育成につながるという視点が欠けているのかもしれません。

そして最も巧妙なのは、「子どものため」という言葉を盾にする点です。この言葉は反論しづらく、相手を黙らせる力を持っています。「子どものため」と言われれば、それに反対する親は「子どものことを考えていない」というレッテルを貼られかねないからです。しかし実際には、その「子どものため」という主張が、本当に子どものためになっているのか、それとも親自身の不安や支配欲を満たすためのものなのか、冷静に見極める必要があるでしょう。

実際に起きたトラブル事例も少なくありません。あるケースでは、保護者が子どものLINEグループの会話内容を他の親たちに共有し、特定の子どもが「悪影響」だと決めつけて排除を促したことがありました。その結果、子どもたちの間に亀裂が生じ、学校生活にも支障をきたすことになりました。これは子どもたちの友人関係を大きく損なうだけでなく、親同士の関係も複雑にしてしまいました。子どもたちが自分たちで解決できたかもしれない問題に、大人が過剰に介入したことで、状況はかえって悪化してしまったのです。

こうした親の言動の背景には、自身の不安や、現代の子育てに対する漠然とした恐れがあることも多いのです。SNSやインターネットの危険性が頻繁に報道される中で、子どもを守りたいという気持ちが強すぎるあまり、過保護になってしまうケースもあるでしょう。あるいは、自分自身が経験したことのないデジタル環境での子育てに、手探りで取り組んでいるという側面もあるかもしれません。

しかし、そうした不安や恐れが理由だとしても、他人の領域に踏み込むことは適切ではありません。子どもの成長には、ある程度の自由と失敗する権利が必要です。過度の干渉や監視は、かえって子どもの判断力や自己管理能力の発達を妨げることになりかねないのです。

【💡行動ヒント:「子どものため」という言葉で押し付けられる内容に疑問を持ってみる。本当に子どもにとって良いことなのか、自分の価値観で考え直す。📎理由:この言葉は時に議論を封じる道具として使われます。本当に子どものためになっているのかを自分の目で判断することが大切です】

適切な”保護者間の距離感”って、どれくらい?

では、他の保護者との適切な距離感とはどのようなものでしょうか。関係を壊さず、かといって必要以上に踏み込まれないバランスはあるのでしょうか。この問いに単純な答えはありませんが、様々な視点から考えてみたいと思います。

佐藤さんは窓際のソファに深く腰掛けながら悩んでいました。「相手の親とは完全に関係を断ちたいわけではないんです。子どもたちは友達ですし、運動会や学校行事で顔を合わせることもある。でも、あまりにも干渉されるのは困る…線引きが難しいんですよね」。彼の言葉には、多くの親が感じる複雑な思いが込められていました。

親同士の関係は、子どもの関係と完全に切り離して考えることができます。これは多くの人が見落としがちな重要な視点です。子どもたちが友達だからといって、親同士が親密になる必要はないのです。もちろん、親同士が仲良くなることで子どもたちの交流がよりスムーズになる場合もありますが、それはあくまで可能性のひとつに過ぎません。

実際、子どもたちは私たち大人が想像する以上に自律的な関係を築いています。彼らには彼らなりの世界があり、親の関係性に左右されない独自のコミュニティを形成しています。特に思春期に入ると、親から一定の独立を求める時期でもあります。そんな時期に親が過剰に介入することは、子どもの自立を妨げることにもなりかねません。

では、どのような距離感が適切なのでしょうか。一つの目安として、公私の境界を意識することが挙げられます。学校行事やPTA活動などの公の場でのコミュニケーションを基本とし、それ以上の親密さは個々の相性や状況に応じて徐々に発展させていくというアプローチです。無理に親しくなろうとせず、自然な流れで関係を構築していくことが大切です。

プライベートな情報の共有については、慎重さが求められます。子どもの友達の親だからといって、家族の事情や個人的な悩みを安易に打ち明ける必要はありません。特に子どものSNSや交友関係といったセンシティブな話題については、一定の留保を持つことが賢明でしょう。情報を共有することで生じる可能性のあるリスクを常に意識しておくことが重要です。

相手の子育て方針への不必要な意見も控えるべきでしょう。子育てに絶対的な正解はなく、各家庭の価値観や状況によって最適なアプローチは異なります。「あの家はこうしている」「この方法が正しい」といった比較や評価は、不要な摩擦を生むだけでなく、親同士の関係に微妙な亀裂を生じさせることになりかねません。

代わりに、「わが家はこうしています」と、自分の方針を淡々と伝えるアプローチが効果的です。これは自己主張でありながらも、相手に押し付けるものではありません。例えば、「うちの子のSNSについては、基本的に本人に任せていますが、時々一緒に見ながら注意点を話し合っています」といった言い方です。これは自分の立場を明確にしつつも、相手を批判せず、また自分の領域を守る効果があります。

特に子どものSNS利用については、各家庭のルールや方針があります。ある家庭では厳しく監視し、別の家庭では自主性を重んじる。どちらが正しいということではなく、家庭環境や子どもの性格、親子関係の特性によって異なるアプローチが取られているのです。「うちでは子どもに自己管理させています」「SNSの内容は子どものプライバシーとして尊重しています」と、自分の立場を明確に示すことで、相手の理解を促すことができるでしょう。

一定の線引きをするために、時には丁寧に断ることも必要です。例えば、「息子のSNSについては、本人の意思を尊重しているので、フォローについては本人に直接聞いてもらえますか」といった言い方は、相手を全面的に拒絶するのではなく、子どもの自律性を尊重する立場を示すものです。あるいは「SNSの内容については家族内のプライバシーとして扱っているので、共有は控えさせていただきます」といった表現も、明確な境界線を示しつつも礼儀を保った対応と言えるでしょう。

佐藤さんは少し安心した表情で言いました。「そうか、子どもの友達関係と親の関係は別なんですね。両方がうまくいくことが理想だけど、親同士が深く関わらなくても、子どもたちの友情は成立するんですね」。そうなのです。むしろ、親が適切な距離を保つことで、子どもたちは自分たちの関係を自律的に築いていく機会を得ることができるのかもしれません。

親同士の関係は、年齢や環境によっても変化します。小学生の頃は送り迎えなどで頻繁に顔を合わせていた親同士も、子どもが中学生になると接点が減るのが自然です。そうした変化を受け入れながら、その時々に適した距離感を模索していくことが大切なのでしょう。

【💡行動ヒント:子どもと「SNSに関する家族のポリシー」について話し合っておく。📎理由:家庭内でルールが明確になっていれば、外部からの干渉に対して「うちのルールでは…」と説明しやすくなります】

自分の違和感を守るという選択肢もある

最後に大切なことをお伝えします。「子どものため」と言われて、無理に関わる必要はないのです。この当たり前のように聞こえる事実が、なぜか私たちの日常では見失われがちになります。特に人間関係を重視する日本社会では、「波風を立てない」「角を立てない」ことが美徳とされる傾向があります。しかし、自分の内なる声に耳を傾け、それを尊重することもまた、成熟した大人の対応なのではないでしょうか。

佐藤さんは私との対話を通じて、自分の中にある違和感の正体に少しずつ気づいていきました。「子どものSNSを見せてほしいという要求は、実は子どものためではなく、その親自身の不安を解消するためかもしれませんね」と彼は静かに語りました。その声には、自分の感覚を信頼し始めた安心感が滲んでいました。

そうなのです。「子どものため」という言葉は時に、相手の要求を通すための便利な方便になってしまうことがあります。その言葉の持つ強い説得力と道徳的な響きのために、私たちは立ち止まって考える余裕を失ってしまいがちです。しかし、すべての「子どものため」が本当に子どものためになっているかどうかは、よく吟味する必要があります。

実際のところ、子どものSNSに過剰に介入することが、本当に子どもの成長や安全に寄与するのでしょうか。現代の子どもたちは、デジタル空間での振る舞い方を学ぶ必要があります。それは時に失敗や小さな危険を伴うかもしれませんが、過保護な環境では得られない貴重な学びでもあるのです。親の過干渉がかえって子どもの判断力や自己管理能力の発達を阻害してしまう可能性も否定できません。

あなたの子育て方針を貫くことは、子どもの自立を尊重する姿勢の表れでもあります。「見守りながらも干渉しすぎない」という選択は、子どもを信頼していることの証でもあるのです。佐藤さんのように、子どもが自分で判断できる領域を確保してあげることは、長い目で見れば子どもの成長に大きく貢献するでしょう。

他人の過干渉を拒否することは「自己防衛」であり、決して失礼なことではありません。むしろ、自分と家族の境界線を明確にし、それを守ることは健全な人間関係の基盤です。「ノー」と言うことを恐れず、必要な場面では丁寧にしかし毅然とした態度で断ることも、大人の対応の一つなのです。

「子どもを守るために」と言われると、つい応じなければならないような気持ちになりますが、親としての責任と、他人に介入される義務は別物です。あなたには自分の家族の価値観を守る権利があります。そして、その価値観に基づいて子どもを育てる権利もあるのです。他の親の価値観を尊重しつつも、自分たちのやり方を曲げる必要はないのです。

「子どものため」という言葉で無条件に従う必要はありません。この言葉は時に、議論を封じ込め、異なる意見を封殺するための道具として使われることがあります。「子どものため」と言われたら、まずは「それは本当に子どものためになるのか」「それは誰の不安や欲求を満たすためなのか」と自問してみることが大切です。その言葉の背後にある真の動機や意図を見極める冷静さを持ちたいものです。

自分の感覚を信頼することも、大人の対応の一つです。長年生きてきた中で培われた直感は、時に論理よりも鋭く本質を突くことがあります。「なんとなく違和感がある」という感覚を大切にし、それを自分自身の判断の一部として尊重してみてください。その違和感こそが、あなたの価値観や人生経験が紡ぎ出した貴重なシグナルなのですから。

佐藤さんは最後にこう言いました。「子どものSNSは子ども自身の領域で、私は見守る立場なんだと思います。だから、他の親がそこに入ってくることに違和感を覚えるのは当然なんですね。これからは自分の感覚を信じて、丁寧に断る勇気を持ちたいと思います」。

過干渉な親からの要求にすべて応えようとすると、あなた自身も子どもも疲弊してしまいます。時には「申し訳ありませんが、それはできません」と断ることも必要です。断り方は丁寧に、しかし意思は明確に伝えることで、相手にも自分の立場を理解してもらうことができるでしょう。

子ども同士の関係と親同士の関係は別物です。これは何度強調してもしすぎることはありません。子どもの友達関係を尊重しながらも、親として適切な距離感を保つことは十分に可能なのです。むしろ、親同士が適度な距離を保つことで、子どもたちは自分たちの関係を自由に発展させることができるかもしれません。

自分の違和感を守ることは、あなた自身のためだけでなく、実は子どものためでもあるのです。あなたが自分の感覚や価値観を大切にする姿を見せることは、子どもにとって大切な学びとなるでしょう。そして何より、あなた自身が心地よく過ごせることが、結果的に穏やかな家庭環境につながり、それこそが本当の意味で「子どものため」になるのではないでしょうか。

【💡行動ヒント:断るときは代替案を出してみる。例:「SNSのことは子どもに任せていますが、何か具体的な心配事があれば、お話を聞かせていただきますよ」📎理由:全面拒否ではなく、自分の境界線を守りながらも協力の余地を残すことで、関係が不必要に悪化することを防げます】


あなたが感じる違和感は、大切な内なる声です。無理に「大人の対応」をして自分を抑え込むよりも、その声に耳を傾け、適切な距離感を保つことが、結果的に子どものためにもなるのです。

子育ては十人十色。他人の子育てに過度に干渉せず、また干渉されることなく、お互いを尊重する関係が理想的です。そのためには、時に「ここまで」という線を引くことも必要なのかもしれません。

子どもが成長するにつれて親同士の関係も変化していきます。その中で自分らしい距離感を見つけていただければと思います。

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この記事を書いた人

宗田玲子のプロフィール
はじめまして、宗田玲子です。
このブログでは、毒親や毒上司、モラハラ夫など「毒人間」に振り回された私の経験をもとに、抜け出すためのヒントをお伝えします。実は私、毒親育ちからモラハラ夫、パワハラ上司まで「毒フルコース」を制覇済みです。
しかし、ある日たまたま目にした「幸福論」で人生が音を立てて変わる体験をしました。おかげで、長らく感じることのなかった幸福感を取り戻せたのです!
このブログが、あなたにとっても新しい一歩のきっかけになれば幸いです。一緒に前向きな未来を見つけましょう!

【追伸】今なら私の人生を変えてくれた「幸福論」を無料で学べるそうです。詳しくは下のボタンからぜひチェックしてみてください!
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