「私もマウントを取る女に成り果ててない?」競争しない関係を築くためにできること

こんにちは、宗田玲子です。

友人と会った後、なんだかモヤモヤした気持ちになったことはありませんか?「また自慢話ばかりされた」「私の話は聞かずに自分の方がすごいアピールばかり」そんな風に感じて疲れてしまうこと、私も経験があります。

でも、ふと考えることがあります。もしかして、私自身も知らないうちにマウントを取ってしまっているのでは?今日はそんな「マウントの連鎖」から抜け出す方法について、一緒に考えてみましょう。

目次

「あの人、いつもマウント取ってくる…」でも本当にそれだけ?

「この前、友達と久しぶりに会ったんです。私が最近始めたヨガの話をしたら、『私なんて3年前からやってるよ』って言われて…」

これは、私の相談者A子さん(32歳)の話です。A子さんは溜息交じりに続けました。「新しい料理を作ったって話をすれば『それ簡単だよね、私はもっと難しいレシピに挑戦してる』、仕事の大変さを話せば『あなたの業界よりうちの方がずっと忙しいよ』って感じで…話すたびに私が下に見られている気がして。帰り道、いつも胸がモヤモヤするんです」

確かに、こういう会話が続くと心が疲れますよね。相手の何気ない一言に傷ついたり、怒りを感じたりすることもあるでしょう。でも、少し立ち止まって考えてみると、マウントに見える言動の裏側には、もっと複雑な心理が潜んでいるかもしれません。

たとえば、「自分も知ってる、できる」という発言。これは単なる優越感の表れではなく、実は「会話に参加したい」「共感したい」という素直な気持ちから生まれていることもあります。または「自分の存在価値を示したい」という不安や焦りから、つい自分の経験を強調してしまうこともあるのです。

A子さんの友人が「私は3年前からヨガをやっている」と言ったとき、もしかするとその裏には「私もヨガ仲間なんだよ」という親近感や「A子さんと共通の話題があって嬉しい」という気持ちがあったのかもしれません。もちろん、純粋に自慢したかっただけかもしれませんが、人の言動には常に複数の解釈が可能なのです。

私自身も思い当たる節があります。先日、友人が新しい仕事の話をしてくれたとき、思わず「私も似たような経験があって…」と自分の話を始めてしまいました。その瞬間、友人の表情がほんの少し曇ったように感じて、はっとしたのです。私は共感のつもりでしたが、もしかしたらそれが「マウント」と受け取られたのかもしれません。

また、「マウント」と感じるかどうかは、私たちの心の状態にも大きく左右されます。自分に自信がない時期や疲れている時は、何気ない相手の言葉も「マウント」に聞こえやすくなります。逆に心に余裕があるときは、同じ言葉でも「ただの情報共有」として受け取れることも。

A子さんに尋ねてみました。「その友達との会話で、マウントを感じるのはいつも決まった状況ですか?それとも、あなた自身の調子によって感じ方が変わることもありますか?」

A子さんは少し考え込み、「確かに…自分が仕事でうまくいってない時期は、友達の何気ない成功談にも過敏に反応してしまうかも」と答えました。この気づきは重要です。相手の言動だけでなく、自分の心の状態もまた、「マウント」と感じる感覚に影響しているのです。

だからといって、不快な思いをすべて自分のせいにする必要はありません。相手の言動がフェアではないこともあります。ただ、一面的な解釈に固執するのではなく、「これは別の意味かもしれない」という視点を持つことで、人間関係のストレスをぐっと軽減できることがあります。

【💡行動ヒント:「これってマウント?」と感じたら、一度深呼吸して「別の解釈」を考えてみる📎理由:感情的になると一面的な解釈に固執しがちです。複数の視点を持つことで、相手の言動に対する受け止め方が柔軟になります】

もしかして私も? マウントの裏にある”認められたい気持ち”

友人からのマウントに悩むA子さんに、ある日こんな質問をしてみました。

「A子さん、友達との会話で『私も〇〇だよ』『私の場合は〇〇だったよ』と自分の経験を話すことはありますか?」

A子さんは少し考え込みました。しばらくして、彼女の表情が変わりました。「実は、よく考えてみると…」と言葉を選びながら話し始めます。「先週、友達が海外旅行の話をしたとき、私も『去年イタリアに行ったときは、現地の人に教えてもらった穴場のレストランが最高だったよ』って、ちょっと自慢っぽく話しちゃったかも。」

さらに彼女は続けます。「それから、グループLINEで誰かが仕事の大変さを話題にしたとき、つい『私なんて徹夜三日続きで…』って、大変さ自慢みたいなことを書き込んでしまいました。言われてみれば、私も知らず知らずのうちに、自分の価値をアピールしようとしているんですね。」

これは、A子さんだけの話ではありません。私たち誰もが、日常会話の中で無意識にマウント気味の発言をしていることがあります。それは決して悪意からではなく、多くの場合、私たちの心の奥底にある「認められたい」「価値ある存在でありたい」という自然な欲求の表れなのです。

私自身も思い返すと、恥ずかしい記憶がよみがえります。先日のママ友との集まりで、子どもの話題になったとき、「うちの子、英語教室に通い始めて半年なんだけど、もう簡単な英会話ができるようになったの」と、必要以上に成果を強調してしまいました。その瞬間、一人のママが小さく目を伏せたのを見て、ハッとしたのです。私の何気ない一言が、彼女を比較の世界に引きずり込んでしまったのかもしれません。

このように、マウントの背景には複雑な感情が絡み合っています。特に自己肯定感が揺らいでいる時期は、自分の価値を外に求めがちになります。「私はこんなにできる」「私もそれ知ってる」というアピールは、実は内側の不安や寂しさを隠すためのベールであることが少なくありません。

A子さんに尋ねてみました。「マウントを取ってしまいそうになるのは、どんなときですか?」

彼女は少し照れくさそうに答えます。「そうですね…新しい環境に入ったときとか、自分に自信がないときですね。先輩たちの中で『私もここにいていいんだ』って思われたくて、つい自分の経験や知識をアピールしちゃうんです。」

そう、私たちがマウントを取りがちになるのは、多くの場合、自分を守りたい、認めてほしいという切実な気持ちからなのです。特に親しい友人や家族との会話では、無意識のうちに「私もできる」「私も知っている」と伝えることで、関係性の中での自分の居場所を確認しようとします。

また、マウントに見える言動は、単に「共感したい」という純粋な気持ちの表れであることも。「私もそれ経験したよ!」という発言は、相手と同じ体験を共有する喜びや、「あなたの気持ちわかるよ」という連帯感を表現しようとしている場合もあるのです。

A子さんは、この話し合いを通じて新たな視点を得たようでした。「自分が無意識にマウントを取っていることに気づいたら、逆に相手からマウントを感じたときも『もしかしたら、ただ認められたいだけなのかも』って思えるようになるかもしれないですね。」

そう、自分の内面と向き合うことは、他者への理解も深めてくれます。マウントを取る側にも、取られる側にもなり得る私たち。時には「私はこうだった」と言いたくなる気持ちを一度脇に置き、「あなたのことをもっと聞かせて」という姿勢を持てたら、会話はもっと豊かになるのかもしれません。

【💡行動ヒント:一日の終わりに、「今日の会話で自分が無意識にマウントを取ったかも」と思う場面を振り返ってみる📎理由:自分の傾向に気づくことが、パターンを変える第一歩。無意識の行動を意識化することで選択肢が広がります】

「勝ち負けの会話」になりがちな関係を見直す

なぜ私たちの会話は、いつの間にか「勝ち負け」の構図になってしまうのでしょうか?

「会社の同期と話すと、なぜか業績や評価の話になって…」とA子さんは目を伏せながら言いました。「『あの企画、部長に褒められたんだよね』とか『今度、海外出張が決まったよ』とか。自慢話を聞かされているうちに、自分も負けじと成果を話してしまって…帰り道、なんだか空しくなるんです」

彼女は続けます。「ママ友との会話も同じなんです。子どもの習い事や学習進度の話になると、みんな自然とすごさアピールが始まる。『うちの子、英検○級に合格したの』『ピアノのグレードが上がって』って。そんな話題になると、私も『うちの子も』と言いたくなる。でも、その後で自己嫌悪になるんです」

A子さんの悩みは、多くの人が共感できるものではないでしょうか。特に現代社会では、比較の機会が格段に増えています。かつては「隣の芝生」だけが比較対象でしたが、SNSの発達により世界中の「芝生」が見えるようになりました。💭 知人のキラキラした旅行写真、美味しそうな食事、仲睦まじい家族の様子…そうした「ハイライト」を見ているうちに、知らず知らずのうちに自分の人生と比べてしまう。

「SNSを開くと、友達みんなが楽しそうな写真ばかり投稿していて」とA子さんは肩を落とします。「合コンで素敵な人に会ったとか、昇進したとか、新しい趣味を始めたとか…。みんなどんどん前に進んでいるのに、私だけ取り残されている気がして」

このように感じるのは、けっして彼女だけではありません。現代社会では、成功や達成が可視化されやすく、苦労や挫折は見えにくくなっています。そして私たちは、他者の見える部分(成功や幸せな瞬間)と自分の全て(喜びも苦しみも含めた日常)を比較してしまう。これはまるで、他人の映画のハイライトシーンと自分の人生のノーカット版を比べるようなもの。必然的に、自分は退屈で劣っているように感じてしまうのです。

比べ合いの習慣が生まれる背景には、競争を美徳とする社会的風潮も関係しています。「頑張れば報われる」「努力は結果に表れる」「成功者になれ」—こうした価値観が幼少期から刷り込まれていれば、自然と他者と比較する習慣が身についてしまいます。

また、私たち人間には「同調圧力」を感じる性質があります。周囲が似たような価値観や生き方を持っていると、それが「正しい」と思い込みがち。「みんな婚活してるから私も」「周りが昇進してるから私も」というように、他者の選択が自分の物差しになってしまうのです。

こうした環境の中で、私たちは無意識のうちに「勝ち負け」のレンズで人間関係を見てしまいがちです。友人の成功は「自分の遅れ」を意味し、自分の成功は「友人より優位に立てた証拠」となる。そんな見方をしていると、会話はどうしても「競争」の場になってしまいます。

でも本来、人間関係は競争ではないはずです。A子さんに問いかけてみました。「人生で最も心地よかった会話って、どんなときですか?」

彼女は少し考え、静かに微笑みました。「大学時代の友人と久しぶりに会ったとき、お互いの近況を話し合って、笑ったり、時には泣いたり…。でも誰も自慢しようとしてなかった。ただ素直に喜んだり、悩みを分かち合ったり。帰り道、なんだか心が軽くなったんです」

そう、本当の意味での深い交流は、誰かと比べるのではなく、お互いの人生の喜びや苦しみを分かち合うこと。異なる人生を歩む私たちが、一時的に道を共にする旅のようなものです。比べるのではなく、互いの景色を共有することで、関係はもっと豊かになります。

では、どうすれば競争ではなく共有の対話ができるのでしょうか。まず大切なのは「聞く」姿勢です。相手の話を、評価したり比較したりする素材としてではなく、その人の体験として受け止める。「それでどう感じたの?」「その後どうなったの?」と、相手の物語に興味を持つこと。

また、違いを競争ではなく「多様性」として捉える視点も重要です。「あの人は私より先に結婚した」ではなく「あの人と私は違うタイミングで人生の節目を迎えている」。「彼女は私より成功している」ではなく「彼女と私は違う道を選び、違う景色を見ている」。

A子さんは、この考え方に少し希望を見出したようでした。「確かに…みんな違う人生を歩んでるんですよね。私が羨む人も、別の誰かを羨んでいるかもしれない。結局、誰かと比べるんじゃなくて、自分がどう生きたいかが大事なんですね」

彼女の言葉に、深くうなずきました。最も大切なのは、自分自身の内側にある基準を大切にすること。他者の価値観や選択に振り回されるのではなく、「自分にとって何が大切か」「自分はどんな人生を歩みたいか」という軸を持つこと。その軸があれば、他者との会話も比較ではなく、互いの人生を豊かにする対話になるでしょう。

【💡行動ヒント:友人との次の会話で、自分の体験を話す前に「それで、どんな感じだったの?」と相手の話を掘り下げる質問をしてみる📎理由:相手の体験に興味を示すことで、比較ではなく共有の対話が生まれます】

マウントの連鎖を断ち切るには? スルー力と距離感の工夫

「それでも相手がマウントを取ってくる場合、どうすればいいんですか?」とA子さんは深いため息と共に尋ねました。彼女の目には少し諦めの色が浮かんでいます。「自分の心持ちを変えようとしても、友達が『私なんて○○だよ』って言ってくると、どうしても気持ちが沈んでしまうんです」

確かに、自分がどんなに気をつけても、相手が競争的な会話を仕掛けてくることはあります。人によっては、マウントを取ることで自分の居場所を確認するのが習慣になっている場合も。そんな時に有効なのが「スルー力」と「距離感の調整」なのです。

私自身も経験があります。以前、ある知人と会うたびに「私はこんなに頑張っている」「あなたより大変なのよ」という暗黙のメッセージを感じていました。最初は反発して「私だって」と言い返したり、逆に「すごいですね」と持ち上げたりしていましたが、どちらの反応でも関係性は良くなりませんでした。ある日ふと気づいたのです。相手のマウントに反応しなければ、競争の土俵自体が成立しないのではないか、と。

マウントは、実は対話の中で強化されていきます。相手が「私は高級レストランでディナーしたの」と言った時に、「私はもっといいところに行ったよ」と対抗したり、「すごいね、私なんて行ったことないな…」と劣等感をにじませたりすると、無意識のうちにマウント行動を強化してしまいます。相手は「自分の発言には効果がある」と学習し、同じパターンを繰り返すようになるのです。

ではどうすれば良いのか。A子さんに具体的な対応を伝えました。

「次に友達がマウント気味の発言をしてきたら、ためしに『そうなんだ!どんな感じだった?』と質問してみてください」

A子さんは怪訝な顔をします。「でも、それじゃあ相手の自慢話を長引かせることになりませんか?」

なるほど、そう思うのも当然です。でも実は、このアプローチには深い意味があります。マウントを取る人の多くは、自分の優位性を示したいだけでなく、実は「私の話を聞いてほしい」「私の価値を認めてほしい」という欲求を持っています。その欲求に真摯に応えることで、相手のコミュニケーションパターンが変わることがあるのです。

例えば、友人が「私は高級レストランでディナーしたの」と言ってきたとき、「そうなんだ!どんな料理だった?楽しかった?」と質問すれば、会話は比較ではなく、体験の共有に変わります。相手は「自分の体験に興味を持ってもらえた」という満足感を得て、競争的な発言をする必要性を感じなくなるかもしれません。

A子さんは半信半疑の様子でしたが、「試してみます」と言ってくれました。2週間後、彼女から報告がありました。

「信じられないんですけど、効果ありました!いつもマウントを取ってくる友達に、『そうなんだ、それでどうだった?』って聞いてみたんです。最初は延々と自慢話をされるかと思ったけど、意外にも彼女はすごく嬉しそうに詳しく話してくれて…。そのうち『でもA子さんはどう?』って、逆に私のことを聞いてくれるようになったんです」

これは素晴らしい変化です。マウント発言の「比較」の部分ではなく、「体験」そのものに関心を示すことで、会話の質が変わった好例と言えるでしょう。

もちろん、全ての関係でこの方法が通用するとは限りません。中には、どんな反応をしても執拗にマウントを取り続ける人もいます。そんな場合は、適切な距離感を保つという選択肢も重要です。

「でも、距離を置くって、関係を切ることですか?」とA子さんが不安そうに尋ねました。

そうではありません。距離感の調整とは、深い付き合いをする相手を選ぶということ。全ての人と心を開いた関係を築く必要はなく、マウントが気になる相手とは、表面的な会話にとどめておいても良いのです。

具体的には、一対一で長時間会う機会を減らし、グループでの交流を選ぶ。話題を趣味や共通の関心事に限定する。会う頻度や連絡頻度を自分が心地よいレベルに調整する。こうした工夫で、関係を断つことなく、適切な距離を保つことができます。

「相手を変えようとするより、自分の反応を選ぶ」—これが、マウントの連鎖を断ち切る上で最も大切な姿勢かもしれません。相手の発言をコントロールすることはできませんが、自分がどう反応するかは選べます。感情的にならず、事実や体験に焦点を当てる。軽やかにトピックを転換する。自分の価値基準を持ち、他者評価に振り回されない。

「相手のマウントに対抗せず、かといって過剰に持ち上げるわけでもなく、さりげなく流す…。それって、心の余裕がないとできませんよね」とA子さんは言います。

その通りです。だからこそ、自分のケアも大切。マウントが気になる時期は、往々にして自分自身の自己肯定感が揺らいでいる時でもあります。そんな時は、あえて競争的な環境から一時的に離れ、自分を認めてくれる人と過ごす時間を作る。趣味や創作活動で自己表現を楽しむ。自然の中でリフレッシュする—こうした自己ケアを通じて、心の余裕を取り戻すことが、長期的には最も効果的なアプローチになります。

「スルー力って、諦めとか無関心じゃなくて、むしろ自分を大切にすることなんですね」とA子さんが気づいたように言いました。

その通りです。スルーとは、相手を否定することでも無視することでもなく、比較という土俵自体から降りる選択。それは自分自身の内側にある価値観を大切にし、真に心地よい関係を選ぶための、積極的な姿勢なのです。

【💡行動ヒント:マウントを感じる会話になったら、「へえ、そうなんだ」と一度受け止めてから、質問や別の話題を提供してみる📎理由:相手の発言を否定せず受け止めつつも、比較の流れを変えることで、建設的な対話に戻せます】

「自分も相手も責めない」関係の築き方

ここまで考えてきたA子さんは、少し沈黙した後、静かに質問しました。「なるほど…スルーする力や距離を置くことの大切さはわかりました。でも結局、マウントを取る人とは深い関係は築けないということなんでしょうか?もしその相手が家族や長年の友人、同僚だったら、単に距離を置くだけでは解決にならないような気がして…」

彼女の表情には複雑な感情が浮かんでいました。「マウントを取る友人も、きっと悪気があるわけじゃないんですよね。それに私自身も無意識にやってしまうことがある。だから、なんとか分かり合えないかなって」

彼女の言葉に、深く頷かずにはいられませんでした。本当に大切なのは、「自分も相手も責めない」姿勢ではないでしょうか。

日常生活の中で、私たちはついやってしまうことがあります。マウントを感じる場面では「あの人はいつもこうだ、マウンティング体質だ」と相手をレッテル貼りしたり、逆に「私はいつも下に見られる存在なんだ」と自分を卑下したり。でも、こうした固定観念は関係をより硬直させてしまいます。

私は以前、ある友人との関係で行き詰まりを感じていました。彼女との会話は、いつも彼女の成功体験や子どもの成長自慢で占められ、私はただ聞き役に徹するだけでした。最初は「彼女は自己中心的な人だ」と思い込み、内心で批判していました。でも、ある日ふと気づいたのです。彼女が一方的に話すのは、もしかしたら私が本当の自分を開示していないからではないか、と。

意を決して、私は彼女に正直に伝えてみました。「いつも素敵なお話をしてくれるけど、私も自分のことを話したいなと思うことがあるの」と。すると彼女は驚いた様子で「ごめんなさい、あなたがいつも聞き上手だから、ついつい話し過ぎちゃって。実は、あなたのことをもっと知りたいと思っていたのよ」と言ったのです。

その日以来、私たちの会話は少しずつ変わりました。お互いの話を聴き合い、時には弱さも見せ合える関係に。彼女が一方的に話すのも、私が聞き役に徹するのも、実はお互いの「思い込み」から生まれていたパターンだったのです。

誰もが完璧ではないこと、そして誰もが自分なりの不安や希望を抱えていることを理解すれば、マウントの背景も違って見えてきます。相手を「マウント取りたがる人」と決めつけるのではなく、「この人も私と同じように認められたい、つながりたいと思っているのかもしれない」と考えてみる。そうした視点の転換が、関係性を変えるきっかけになることがあります。

A子さんは少し考え込んでから言いました。「でも、私はいつも相手に合わせてしまうんです。自分の気持ちを伝えるのって、怖くて…」

確かに、自分の気持ちを素直に伝えるのは簡単なことではありません。特に日本社会では「和を乱さない」「相手のペースに合わせる」ことが美徳とされがち。でも、関係を深める上で時には「正しさ競争」から降りる勇気も必要です。

「正しさ競争」とは、会話の中で「誰が正しいか」「誰の経験が優れているか」を暗黙のうちに競い合うこと。でも本当の対話は、正しさの競争ではなく、互いの心の風景を分かち合うこと。時には「わからない」「自信がない」と素直に認めたり、相手の意見に「なるほど、そういう見方もあるね」と柔軟に耳を傾けられることが、より深い関係への扉を開きます。

A子さんに提案しました。「次に親しい友人と会う機会があれば、普段は言わないような、自分の小さな不安や喜びを一つだけ話してみてはどうでしょう?」

彼女は少し緊張した表情になりましたが、「試してみます」と頷いてくれました。

そして2週間後、A子さんからうれしい報告がありました。「以前はマウントを取られたと感じていた友人と、久しぶりに二人で食事をしたんです。思い切って『実は最近、仕事で自信をなくしていて…』と素直に話してみました。そうしたら彼女も『私も同じなの!』って、意外な弱さを見せてくれたんです。お互いの気持ちを話せたら、不思議と競争意識がなくなりました」

これは素晴らしい変化です。自分の弱さや不安を適度に開示することは、関係を深める触媒になることがあります。もちろん、すべての関係でそれが可能とは限りませんが、大切にしたい関係であれば挑戦する価値があります。

A子さんは続けました。「でも、全ての人とそういう関係になれるわけじゃないですよね?」

その通りです。人間関係には様々な深さや距離感があって当然。全ての人と心を開いた関係を築く必要はなく、自分自身が心地よいと感じる関係を選んでいいのです。

何より大切なのは、自分自身を大切にすること。自分の内側に確かな軸があれば、他者のマウントにも揺らぐことなく、本当に心地よい関係を選べるようになります。自分の価値は他者との比較で決まるものではなく、自分自身の内側にあるのだと実感できれば、マウントを取る必要も、マウントに反応する必要も少なくなっていくでしょう。

最後にA子さんは、少し照れくさそうに言いました。「実は、この話をしていて気づいたんです。私、周りの人に『聞き上手だね』って言われるのが密かに誇りだったんですよね。でも本当は、自分のことも話したいと思っていた。これからは『聞き上手』というポジションにこだわらず、もっと素直に自分を表現してみようと思います」

彼女のその言葉に、私は心から共感しました。私たちは時に、「良い人」「聞き上手」「頼れる人」など、自分で作り上げた役割に囚われがち。でも、そうした役割から一歩離れ、ありのままの自分でいることを許した時、人間関係はもっと自由で豊かなものになるのかもしれません。

【💡行動ヒント:「この人と一緒にいると自然体でいられる」と感じる関係を大切にし、そうした関係の時間を意識的に増やす📎理由:比較や競争のない関係の心地よさを体験することで、他の関係でも同様の質を求められるようになります】


人間関係のあらゆる場面で、「比べる」のではなく「分かち合う」視点を持てたら、きっと日々の会話はもっと豊かになります。誰かと比べるのではなく、昨日の自分と今日の自分を比べ、少しずつ成長していく。そんな穏やかな人生の旅を、一緒に歩んでいけたらと思います。

マウントを取られたと感じる瞬間も、自分がマウントを取ってしまう瞬間も、それはただの通過点。完璧を目指すのではなく、気づいたときに立ち止まり、また歩き始める。そんな優しさを、まずは自分自身に、そして周りの人たちにも分け与えていきましょう。

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この記事を書いた人

宗田玲子のプロフィール
はじめまして、宗田玲子です。
このブログでは、毒親や毒上司、モラハラ夫など「毒人間」に振り回された私の経験をもとに、抜け出すためのヒントをお伝えします。実は私、毒親育ちからモラハラ夫、パワハラ上司まで「毒フルコース」を制覇済みです。
しかし、ある日たまたま目にした「幸福論」で人生が音を立てて変わる体験をしました。おかげで、長らく感じることのなかった幸福感を取り戻せたのです!
このブログが、あなたにとっても新しい一歩のきっかけになれば幸いです。一緒に前向きな未来を見つけましょう!

【追伸】今なら私の人生を変えてくれた「幸福論」を無料で学べるそうです。詳しくは下のボタンからぜひチェックしてみてください!
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